百名山登山記録               2005-07-02 完登

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山名

NO1、 鳥海山

年月日

1994年8月5日  単独

コース月山荘(4:00)→(6:00)鉾立山荘(6:10)⇒(7:30)御浜小屋⇒七五三掛⇒行者岳⇒(10:00)鳥海山新山(10:15)⇒七五三掛⇒(12:30)御浜小屋⇒(14:30)鉾立山荘→(17:10)月山荘
コメント4日に車を借り出発。途中、蔵王に立ち寄った。霧が濃いので熊野岳は諦め、刈田岳だけに登った。午後2時に月山荘に到着。5日、鉾立駐車場に車を止め。 歩き始める。御浜小屋からの鳥ノ海と鳥海山は素晴らしかった。七五三掛から花の多い外輪山コースを選び山頂に到着。 好天に恵まれ、日本海が素晴らしい。鳥海山の影が平野に伸びていた。下山はコースを変え、雪渓を渡り七五三掛に出て鉾立に戻った。
山名

NO2、 熊野岳

年月日

1994年8月6日  単独

コース月山荘(4:15)→(6:45)刈田岳駐車場⇒(7:15)熊野岳(7:30)⇒(8:10)刈田岳⇒(8:25)刈田岳駐車場(8:45)→(18:30)三鷹
コメント月山荘を出て、4日に霧の為、登山を諦めた蔵王の熊野岳に挑戦する事にした。刈田岳駐車場に車を止め、スタート。今回も霧が濃い。ところが、尾根に出ると霧が薄くなり、お釜や熊野岳が見え始めた。 登山道には高い草木がほとんど無い、火山のせいだろう。広い山頂に有る神社に山行の無事を祈念し、下山を開始。駐車場に戻る前に、今回も刈田岳に登り熊野岳やコマクサの写真を撮り帰途に就いた。
山名

NO3、 富士山

年月日

1994年8月14~15日  単独

コース14日河口湖(13:30)→(14:25)五合目⇒(16:00)七合目 15日七合目(3:20)⇒(7:00)久須志神社⇒(7:35)剣ヶ峰⇒(8:45)久須志神社⇒(10:50)五合目(10:55)→(12:10)河口湖
コメント14日、七合目トモエ館に早めに到着。飲みながら夕暮れの山中湖や影富士を楽しんだ。15日、3時過ぎに出発。調子が悪い、 高山病かな?下痢や嘔吐を何度か繰り返すと、元気が出てきた。昨日、飲み過ぎたのだ。久須志神社に4時間近くかかり到着。お鉢巡りをすることにした。日本の最高点 剣ヶ峰からの景色は最高。好天に恵まれ絶景を楽しむ事が出来た。神社まで戻り、2時間ほどで五合目に下り、帰途に就いた。
山名

NO4、 雲取山

年月日

1994年8月17日  単独

コース奥多摩(6:55)→(7:35)鴨沢⇒(10:00)ブナ坂⇒(11:00)雲取山(11:40)⇒(12:30)七ッ石山(12:45)⇒(14:40)留浦(15:54)→(16:30)奥多摩
コメントコースタイムが8時間ほど、日帰りの為、短めの休憩で登る事にした。七ッ石小屋辺りが一番きつかった。ブナ坂まで来て、余裕が出来た。 避難小屋に予定より早く到着。小屋で3日間過ごしている人が、「冬は最高」と話してくれた。山頂には5人ほどが居て絶景を楽しんでいた。富士山や 奥多摩の山々、それと奥秩父の山々が素晴らしい。下りに、七ッ石まで足を延ばした。とても歩きやすい登山道, 足に優しかった。
山名

NO5、 筑波山

年月日

1994年9月25日  単独

コース三鷹(6:45)→(10:45)筑波神社(10:50)⇒中茶屋⇒(12:00)男体山(12:20)⇒(13:00)女体山(13:20)⇒弁慶茶屋⇒(14:00)筑波神社(14:25)→(18:00)三鷹
コメント三鷹で車を借り、7時前に出発。筑波神社で登山の無事を祈念し、登り始めた。朝のうちに降っていた雨で 石畳はとても滑り易かった。ケーブルカーの音を聞きながら高度差500m程を一挙に登り尾根に出た。そこは広場になっていて、ハイカーで賑やか。 男体山山頂からは全く眺望無し、女体山からも残念ながら眺望無し。下りは奇岩を見ながら弁慶茶屋へ、右に折れハイカーの少ない登山道を神社まで戻った。
山名

NO6、 赤城山

年月日

1994年10月16日  単独

コース前橋(7:40)→(9:40)大洞(9:50)⇒黒檜山登山口⇒(11:20)黒檜山(11:40)⇒(12:10)駒ヶ岳(12:30)⇒(13:00)大洞⇒(13:45)地蔵岳(13:58)⇒(14:12)小沼⇒(14:40)大洞(15:30)
コメント上野から高崎線と両毛線を乗り継ぎ、前橋へ。混雑するバスに乗り大洞で下車。赤城山神社に無事を祈念し、湖岸の舗装道路を黒檜山登山口まだ歩き登山道に入った。短いがかなり急、尾根に出ると直ぐに 山頂。少し先の展望台で休憩。見晴らしがとても良く、尾瀬や日光、谷川、八ヶ岳、浅間山等の山々が望めた。駒ヶ岳までの緩やかな道を大沼・小沼、地蔵岳を見て進み、大洞へ降りた。地蔵岳へはロープウエー脇の 登山道を登った。山頂には軽装のハイカーが多かった。黒檜山を振り返り下山した。
山名

NO7、 天城山

年月日

1995年4月3日  単独

コース三鷹(6:50)→(10:08)天城高原駐車場(10:28)⇒涸沢分岐⇒ (12:07)万三郎岳(12:50)⇒(13:42)万二郎岳(13:50)⇒(14:30)天城ゴルフ場(15:00)
コメント車を借り、箱根をドライブして天城高原駐車場に止めた。登山開始、山の北側をまく長い登山道を1時間歩き涸沢分岐に到着。残雪の急斜面を30分 ほど登り、万三郎岳。山頂からの展望は無い。食事休憩をしているグループと話を終え次の山に向かった。馬酔木とシャクナゲのトンネルを抜けると、見晴らしの良い所に出た。 相模灘が綺麗だ。万二郎岳からも展望は無い。少し休み天城高原駐車場に戻った。
山名

NO8、 丹沢山

年月日

1995年5月7日  単独

コース藤野(7:00)→(7:35)東野⇒(9:50)姫次⇒(11:08)蛭ヶ岳(11:30)⇒(12:40)丹沢山(13:15)⇒(13:57)塔ノ岳(14:22)⇒(15:55)大倉(16:05)⇒渋沢
コメント東野で登山姿の3人と一緒にバスを降りた。40分ほど舗装道路を歩き、登山道に入り、姫次までの高度差900mを一挙に登った。 姫次から蛭ヶ岳までは、最後の高度差200m以外は快適。蛭ヶ岳山頂は残念ながらガスの中。行動食を取り出発、丹沢山まではアップダウンが有り、辛かった。 丹沢山山頂で休んでいるとバスで一緒だった若者と高齢者が追いついて来た。高齢者は「ヤビツ峠に下る」と言っていた。私は塔ノ岳に登り、大倉尾根をユックリ下った。 残念ながら塔ノ岳からの展望も無かった。
山名

NO9、 大菩薩岳

年月日

1995年5月28日  単独

コース塩山(7:28)→(7:53)大菩薩登山口(7:57)⇒(9:07)上日川峠⇒(10:07)大菩薩峠(11:30)⇒(12:23)大菩薩嶺(12:39)⇒(13:19)丸川峠⇒(14:16)大菩薩登山口(14:52)→(15:17)塩山
コメント上日川峠で一休み、霞を帯びた南アルプスの山々の写真をパチリ。車が走れる道を見ながらの登り。少しばかり興ざめ。 ゆるやかな登山道が続き、大菩薩峠に到着。富士山や雲取山等も見えてきた。待ち合わせたKI夫妻を探すと、峠の端の方で休憩していた。 色々御馳走をしてもらい、途中まで同行して分かれた。大菩薩嶺からの展望は無く、直ぐに出発。丸川峠の花もまだで、残念。少し急坂を下り 裂石に戻った。
山名

NO10、 奥白根山

年月日

1995年7月23日  単独

コース三鷹(4:15)→(7:20)菅沼(7:30)⇒(8:40)弥陀ヶ池(8:50)⇒(10:00)奥白根山(10:30)⇒(11:30)弥陀ヶ池(12:00)⇒(13:05)菅沼(13:10)→(18:30)三鷹
コメント好天に恵まれた為、菅沼の駐車場には既に30台ほどが止まっていた。駐車場から1時間ほどで開けた弥陀ヶ池に到着。奥白根山が眼前に聳えていた。 再び1時間ほど登り、奥白根山頂に到着。多くのハイカーが展望を楽しんでいた。北に燧岳や至仏山等の尾瀬と会津駒ヶ岳、東に男体山や女峰山等の日光の山々、南に皇海山、西に武尊山と谷川岳等。 私も疲れを忘れ絶景を楽しんだ。帰路は同じ道を菅沼まで下った。
山名

NO11、 谷川岳

年月日

1995年7月26日  単独

コース土合(8:50)→(9:10)登山口(9:15)⇒(11:00)ラクダのコル(11:10)⇒(12:50)トマノの耳⇒オキの耳⇒トマノの耳(13:15)⇒(14:50)天神平(15:00)→(15:15)登山口→(15:40)土合
コメント486段の階段を上り、駅舎を出て西黒尾根入り口で一休み。ラクダのコルまでの急登を2時間弱で必死に登った。マチガ沢を見ながら急登を登り終えると、肩の小屋。 天神平からの登山者で溢れていた。トマノ耳は満員、オキノ耳まで行く事にした。山頂からはガスで視界は良くない、隣のトマノ耳だけが見える。下山は高山植物を見る為天神平尾根にした。 疲労していたので、予定していなかったロープウエーを使った。
山名

NO12、 御嶽山

年月日

1995年7月29~30日  三鷹山岳会5人

コース30日 田の原駐車場(5:00)⇒王滝⇒(8:00)剣ヶ峰(8:50)⇒(9:43)二の池⇒(10:45)王滝⇒(12:02)田の原駐車場(13:00)→(22:00)三鷹
コメント今回は三鷹山岳会5人での山行。29日、田の原駐車場でテント泊。30日、夜明けに到着した2人が準備してくれた朝食を食べ出発。 登りは3時間ほどかけてユックリと剣ヶ峰山頂に到着。360度の素晴らしい眺望。富士山、南・北・中アルプス、八ヶ岳、浅間山、乗鞍岳等多くの山々が一望できた。 景色を十分に味わった後、二の池を経て、お鉢巡りをして下山開始。王滝で一休み、それから一挙に下った。ASさんとTAさんは走って下り、私とHAさんは付いて行けなかった。 2人は1時間かからなかった。
山名

NO13、 甲斐駒ケ岳

年月日

1995年8月4日  単独

コース甲府(3:00)→(4:45)広河原(5:00)⇒(7:00)北沢峠(7:15)⇒(8:35)双児山⇒(9:15)駒津峰⇒(10:40)甲斐駒ケ岳(11:30)⇒(12:38)駒津峰⇒(14:20)北沢峠
コメント甲府の駅前で一夜を過ごし、朝一番のバスで広河原へ。北沢峠行きバスは4時間後、歩くことにした。北沢峠を7時15にスタート。六方石からまき道に入った。ザレ場で足を取られ疲労し、摩利支天は 残念ながら諦めた。甲斐駒ケ岳山頂からは好天に恵まれ360度の展望、北に北アルプスや八ヶ岳、東に奥秩父や富士山、南に北岳、東に中央アルプス。下山路は岩尾根にした。途中、道を見失い誤って崖の方に進み、 慌てて急坂を引き返し、事なきを得た。北沢峠まで戻り駒仙小屋に泊まった。
山名

NO14、 仙丈岳

年月日

1995年8月5日  単独

コース北沢峠(4:10)⇒(5:20)五合目⇒(6:00)馬ノ背ヒュッテ⇒(7:05)仙丈岳(7:45)⇒小仙丈岳⇒(9:03)五合目⇒(9:45)北沢峠(9:55)→(10:25)広河原(10:35)→(12:28)甲府
コメント小屋が満員で、1枚の布団に2人。寝返りが打てない。夜中、天の川や夏の大三角を見てから、やっと4時間ほど寝られた。4時過ぎに出発。藪沢大滝の頭から馬の背ヒュッテを過ぎて森林限界を越えると、一挙に 視界が開けた。カールが見事だ!仙丈岳への直登ルートは崩れやすいガレ場で、落石に注意した。仙丈岳山頂からは360度の眺望、北に鋸岳や甲斐駒ケ岳、東に鳳凰三山、南に北岳や間ノ岳、西に中央アルプス。ハイカーで混雑する山頂を後にし、小仙丈岳から大滝の頭を経て下山した。
山名

NO15、 月山

年月日

1995年8月14日  単独

コース月山荘(7:20)→(7:40)姥沢(7:55)⇒(9:15)月山(9:30)⇒(10:40)姥沢→(8/15,3:15)三鷹
コメント12日に車で三鷹を出て、13日に大朝日岳、14日に月山に登る予定であった。ところが13日、小朝日岳を少し越えた所で疲労の為、引き返した。天候以外で断念したのは大朝日岳だけ。 14日の月山は往復5時間、ユックリ宿を出て姥沢に車を止め、8時前に歩き始めた。多くのハイカーが行き交う中を、高山植物や景色を見ながら登った。 登山道はとても歩きやすく、1時間半で山頂に到着。500円を支払い、月山神社本宮に参拝し、御祓いをうけた。登って来た道を引き返し、長い帰路に就いた。
山名

NO16、 那須岳

年月日

1995年8月20日  単独

コース黒磯→那須岳山麓→山頂駅(9:50)⇒(10:20)茶臼岳⇒(10:48)峰の茶屋⇒(11:20)朝日岳⇒(12:41)三本槍岳(13:00)⇒(14:30)北温泉(15:30)⇒(16:00)那須湯本→黒磯
コメント新幹線、バス、ロープウエーを乗り継ぎ山頂駅、ここから歩き始めた。多くのハイカーを追い越し茶臼岳山頂に到着。混雑していて写真を撮るのも大変。ガスで展望も良くなかった ので直ぐに出発。峰の茶屋に着き、振り返ると噴煙が狼煙のように上がっていた。朝日岳まで来るとハイカーは減った。ガスが無ければ素晴らしい展望だろう?三本槍岳まで、4回のアップダウンが有った。 山頂直下だけが少しきつかった。北温泉に下山し、大きな天狗のお面を見ながら入浴。疲れを癒し帰途に就いた。
山名

NO17、 男体山

年月日

1995年8月30日  単独

コースJR日光(8:00)→(8:55)登山道入口(9:04)⇒(11:30)男体山(12:38)⇒(14:03)志津乗越⇒(15:20)戦場ヶ原⇒(16:36)赤沼(16:51)→(17:50)東武日光
コメントバスを二荒山神社前で降り、入山料500円を支払、鳥居をくぐり登り始めた。林道に出ると4合目、ココから本格的登山道。5合目からはガレ場の急登、下りなし、登りだけ。 9合目辺りからは火山を特有の赤いザレ場の急登。標高差1200mはさすがにきつい。山頂からは太郎山や大小真名子山等しか見えず、残念。志津乗越に下って、戦場ヶ原からの男体山を振り返り、咲き残る高山植物 を見て赤沼まで歩いた。
山名

NO18、 磐梯山

年月日

1995年9月1日  単独

コース猪苗代(9:25)→(9:55)磐梯高原(9:58)⇒(11:20)中の湯⇒(12:11)弘法清水小屋(12:30)⇒(12:40)磐梯山(13:20)⇒猪苗代リゾートスキー場⇒押立⇒(15:50)翁島
コメント裏磐梯の五色沼を過ぎ、磐梯高原でバスを降りた。前日の雨で林道に落石が有り、車は通行止め。県の職員に注意を受けてから登り始めた。中の湯まで来ると、噴火により山が吹き飛ばされ た痕にビックリ。弘法清水で一休み。最後の急登を終え、山頂に到着。360度の展望を期待したが、ガスでほとんど見えない。帰路は表磐梯方面へ下山。押立温泉までは、落差が大きい急坂、ハイカー も少ない。翁島に到着し振り返ると、磐梯山が姿を現した。一山を歩いて越えた満足感が湧いてきた。
山名

NO19、 草津白根山

年月日

1995年10月15日  単独

コース長野原草津口→(10:50)白根火山⇒(11:40)本白根山(13:20)⇒鏡池⇒山頂駅⇒(14:09)白根火山⇒(14:26)地蔵岳(草津白根山)⇒(15:00)白根火山(15:50)→長野原草津口
コメント逢ノ峰と本白根と草津白根山(地蔵岳)、三山の総称が白根山。最高峰は本白根山、火山ガスの為山頂付近は立ち入り禁止。バスを白根火山で降り、逢ノ峰を経て登れる最高点に1時間ほどで 到着。四阿山、浅間山、白根山周辺の山々が見渡せた。下りは、鏡池経由で白根火山バス停まで戻った。次に、観光客が溢れるお釜見学を済ませ、地蔵岳に登った。草木は無く、殺伐としている。 360度の眺望を楽しめる所であったが、雲が邪魔をした。再びバス停まで戻り、帰途に就いた。
山名

NO20、 武尊山

年月日

1995年10月22日  単独

コース武尊神社(7:42)⇒(8:55)手小屋沢避難小屋⇒(9:58)武尊山(10:40)⇒(11:38)手小屋沢避難小屋⇒(12:45)武尊神社(13:00)
コメント武尊神社の駐車場には既に車が数台止っていた。私は手小屋沢非難小屋経由の往復で登り始めた。小屋を過ぎると岩場があり 鎖とロープを頼りに無事山頂に到着。10人ほどが休憩していた。北方面の至仏山や燧岳や谷川岳は見えていたが、南方面の山々は残念ながら雲の中。 帰路、紅葉を楽しみながら神社に戻った。
山名

NO21、 伊吹山

年月日

1995年11月3日  単独

コース近江長岡(8:57)→(9:10)伊吹山登山口(9:15)⇒(11:06)伊吹山(12:15)⇒(14:20)伊吹山登山口(14:40)→(14:50)近江長岡
コメント新幹線を利用して、名古屋まで約1時間半。普通列車に乗り換えて、1時間で近江長岡。タクシー利用(760円)で登山口に 到着。掛かった時間は約3時間。上部は薄らと雪化粧、想定外で少し不安。行ける所までと、リフト脇を登り始めた。多くのハイカーはリフト利用。 山頂付近は10㎝ほどの積雪、問題なかった。ただ、とても寒かった。琵琶湖方面の写真を撮り、一部遠回りの紅葉の林道を歩いて登山口に戻った。
山名

NO22、 両神山

年月日

1996年5月4日  単独

コース白井差小屋(8:05)⇒(8:57)一位ガタワ⇒(9:22)両神神社⇒(9:37)剣ヶ峰(10:05)⇒(11:07)大峠⇒(11:42)白井差小屋(11:56)
コメント全て一般道を走り、白井差小屋に到着。駐車する車が多く、登山口から離れた場所に止めざるを得なかった。多くのハイカーを追い抜き1時間半で山頂に到着。 八ヶ岳や富士山、奥秩父、雲取山、北アルプス、浅間山が望めた。狭い所に続々とハイカーが登ってくるので、長居は出来ない。帰路はコースを変え、大峠経由にした。展望の良いミヨシ 岩で昼食休憩。登山口に戻った。帰路も全て一般道にした。
山名

NO23、 瑞牆山

年月日

1996年5月12日  単独

コース瑞牆山荘(8:13)⇒(8:43)富士見平小屋⇒(10:07)瑞牆山(10:57)⇒(11:58)富士見平小屋(12:02)⇒(12:17)瑞牆山荘(12:30)
コメント中央高速を走っていると雨が降り出した。運よく、瑞牆山荘の駐車場に到着した時は雨は上がった。富士見平までは歩きやすい道。 ここを越えると岩が多くなり、少し道が分かり難くなる。時折姿を現す雪化粧をした岩壁の瑞牆山。登ることが出来るのか、少し心配になった。 山頂には岩の間を通り、裏から岩壁に登った。山頂にはハイカーが8人ほど居て景色を楽しんでいた。岩壁の上からは金峰山や八ヶ岳が素晴らしい。
山名

NO24、 金峰山

年月日

1996年5月26日  単独

コース瑞牆山荘(9:50)⇒(10:10)富士見平小屋⇒(10:43)大日小屋⇒(10:58)大日岩⇒(12:38)金峰山(13:27) ⇒(14:48)大日小屋⇒(15:04)富士見平小屋⇒(15:40)瑞牆山荘
コメント車を大弛に止めピストン登山をするつもりであったが、林道が通行止め。急遽、登山口を瑞牆山荘に変更。 遅れを取り戻すために休み無しで登った。登山道は歩きやすく、3時間弱で山頂に到着。振り返ると、山梨側が切れ落ちた尾根に少し ビックリした。山頂からは360度見渡せるが、雲がかかり近くの山々しか見えなかった。残念!
山名

NO25、 甲武信岳

年月日

1996年6月2日  単独

コース西沢渓谷入口(6:45)⇒(8:35)1869m地点⇒(10:30)甲武信小屋⇒(10:45)甲武信岳(11:40)⇒(12:55)1869m地点 ⇒(14:00)西沢渓谷入口
コメント車を西沢渓谷入口の駐車場に止め、近丸新道を登った。1890m地点に着くと上空の雲が切れ始め、下には雲海が広がっていた。 尾根の登りになっても誰とも合わず寂しかったが、咲き始めのシャクナゲが励ましてくれた。山頂からは奥秩父の山々が見えていた。しかし、残念ながら遠くの山は 霞んでいた。1時間ほど景色を楽しみ、1890m地点からとても歩きやすい徳ちゃん新道を下山した。
山名

NO26、 蓼科山

年月日

1996年6月23日  単独

コース七合目一の鳥居(8:55)⇒馬返し屋⇒(9:40)蓼科山荘⇒(10:05)蓼科山(11:00)⇒(11:20)蓼科山荘⇒馬返し⇒(11:47)七合目一の鳥居
コメント七合目に車を止め、一の鳥居をくぐり登り始めた。蓼科山への最短コースか?1時間10分で山頂に到着。岩がゴロゴロでとても広い。 山頂の中央に在る蓼科神社奥宮に無事を祈念し、北アルプス方面がよく見える場所に移動した。眼下に白樺湖は見えたが、遠くの山々は霞がかかり残念。1時間ほどユックリ休憩し、同じ道を下山した。
山名

NO27、 八幡平

年月日

1996年7月20日  単独

コース東京(6:00)→(9:27)盛岡(9:47)→(11:31)茶臼口⇒(12:10)茶臼岳⇒(13:50)八幡平⇒八幡平山頂駅(15:40)→(17:30)盛岡
コメント始発の新幹線に乗り、盛岡でバスに乗り換え、茶臼口で下車。ハイカーは私だけか?40分で茶臼山に到着。運よく雲が切れ始め、岩手山 や八幡平、その周辺の山々が見えてきた。八幡平山頂まではなだらかで、途中に多くの高山植物が咲く黒谷地湿原がある。チングルマの群生は見事。山頂付近はバスで来た観光客が多く 興ざめ。加えて山頂からの展望は良くない。八幡沼を見ながら食事を済ませ盛岡に戻った。
山名

NO28、 岩手山

年月日

1996年7月21日  単独

コース盛岡(5:35)→(6:00)馬返し(6:15)⇒八合目小屋⇒(9:25)不動平⇒(10:00)岩手山(10:40)⇒(11:05)不動平(11:15)⇒(14:20)八幡平温泉郷(15:10)→(16:30)盛岡
コメント盛岡からタクシーに乗り、柳沢を経て馬返しまで入り、霧雨の中を歩き始めた。八合目までの高度差1000m以上の急登にとても苦しんだ。八合目の小屋の 水を飲み一休み。続くザレ場の急登も必死で登り、360度の展望の山頂に到着。火口を一周して不動平に戻った。途中にコマクサの大群落があり、感動。 下山はバスを利用する為、八幡平温泉郷にした。途中、藪がひどく登山口に到着した時は胸をなで下ろした。
山名

NO29、 早池峰山

年月日

1996年7月22日  単独

コース盛岡→花巻(9:10)→(10:45)河原の坊⇒(11:17)小田越⇒(12:55)早池峰山(13:30)⇒(14:27)小田越 ⇒(15:00)河原の坊(17:30)→(18:47)新花巻→上野
コメント花巻からバスに乗り河原の坊で下車。帰りのバス便に間に合うように最短のコース、小田越経由で早池峰山に登る事にした。小田越には多くの マイカーが駐車していて、早池峰山の人気がうかがえた。岩場が多く、頂上近くに10mほどの梯子が掛けられていた。天気が悪く、ハイカーでにぎわう山頂から 眺望は無かった。同じコースをハヤチネウスユキソウ等の高山植物の写真を撮りながらユックリ河原の坊に戻った。
山名

NO30、 安達太良山

年月日

1996年7月28日  単独

コース二本松(8:10)→(9:03)奥岳(9:10)→山頂駅⇒(9:30)薬師岳⇒(10:20)安達太良山⇒(10:40)鉄山⇒安達太良山⇒薬師岳⇒山頂駅→(12:00)奥岳→二本松
コメント時間の制約があり、ロープウエー利用で往復することにした。1時間半ほどで簡単に登れる為か?運動靴姿のハイカーが多く見られた。山頂直下に着くと、 乳首山の別名を持つ理由が分かった。山頂からは雲がかかり、箕輪山より先は見えなかった。鉄山までを沼ノ平を見ながら、痩せ尾根の馬の背を往復。運よく風が無く、ガスも掛かっていなかったので快適だった。 安達太良山まで戻り、同じコースを下った。
山名

NO31、 木曽駒ヶ岳

年月日

1996年8月2日  単独

コース菅ノ台(8:00)→しらび平→千畳敷(9:20)⇒(9:40)極楽平⇒(10:15)宝剣岳⇒(10:45)中岳⇒(10:55)駒ヶ岳神社(11:12)⇒乗越浄土⇒(12:00)千畳敷→(12:20)しらび平→菅ノ台
コメント車を菅ノ台に止め、バスとロープウエーを乗り継ぎ、千畳敷に到着。快晴、乗越浄土を目指すハイカーの行列が見えた。混雑を避けるため、宝剣岳コースに変更 した。宝剣岳への登りは鎖場が多く緊張したが、整備されているので不安は無かった。駒ヶ岳神社からは、北アルプスの山々や空木岳、木曽駒ヶ岳、乗鞍岳等が見えた。残念ながら南アルプスは 雲の中。下山はコマクサの群生を楽しみ、浄土平コースを下った。 
山名

NO32、 四阿山

年月日

1996年8月5日  単独

コース菅平牧場登山口(8:26)⇒(9:28)根子岳(9:45)⇒(10:43)四阿山(11:40)⇒中四阿山⇒(13:20)菅平牧場登山口
コメント菅平牧場登山口駐車場に迷いながら到着。料金を支払い、牧草を食べている牛の横を根子岳に向かった。好天に恵まれ根子岳山頂から 北アルプスの山々がハッキリと見えた。深い笹薮の登山道を踏み跡を確認しながら下り、登り返して四阿山に到着。祠の裏で中学生が大勢騒いでいた。山頂からは浅間山や 妙義山が近くに見えていた。中四阿から四阿山を振り返り、小四阿を経て駐車場に下った。
山名

NO33、 霧ヶ峰

年月日

1996年8月6日  単独

コース車山高原(8:20)⇒(8:58)車山⇒車山肩⇒(10:09)沢渡⇒(10:15)物見岩⇒(10:33)鎌ヶ池(10:52)⇒八島ヶ池⇒(11:32)沢渡⇒(11:56)蝶々深山⇒車山乗越⇒(12:41)車山高原
コメント車山高原の駐車場に車を止め、1時間で車山山頂に到着。富士山はもちろん、近くの蓼科山も見えなかった。高山植物に誘われ、 予定を変更して観光客で賑わう車山肩に下った。ここからは沢渡まで下り、予定の逆コースにするつもりであったが、うっかり道を間違え、物見岩に登ってしまった。 仕方なく、コースを変えて鎌ヶ池から八島ヶ池を回って沢渡に戻る事にした。途中、八島ヶ池と高山植物を楽しみがら昼食休憩にした。帰りは蝶々深山に登り返し、駐車場に戻った。
山名

NO34、 北岳

年月日

1996年8月16日  単独

コース広河原(3:45)⇒(5:32)大樺沢二股(5:42)⇒(7:30)肩の小屋⇒(8:20)北岳
コメント甲府駅前のバス乗り場のベンチで、仮眠。始発のバスより早い乗り合いタクシーで出発。広河原到着後すぐに歩き始めた。 既に登山者は歩き始めており、ヘッドランプがいらなかった。多くの登山者は八本歯のコルを目指して沢を登って行ったが、私は昔のトラウマが有り肩の小屋に向かった。 北岳山頂からの見晴は素晴らしかった。風がとても強く寒かったので、ウインドブレーカーを着こんだが長居は出来なかった。
山名

NO35、 間ノ岳

年月日

1996年8月16日  単独

コース北岳(8:30)⇒(9:18)北岳山荘(9:45)⇒(11:15)間ノ岳(11:30)⇒(12:03)三峰岳⇒(13:00)熊ノ平小屋
コメント北岳から下り、北岳山荘に到着。登山客が多い。今日は大混雑だろう?私は混雑を避けるため、熊ノ平小屋に向かった。間ノ岳までの 3000m級の長い尾根、これは日本一か?(標高と長さ)両側の景色を楽しみながら間ノ岳に到着。振り返ると、北岳が聳えている、行く手には塩見岳が 控えてる。風もなく暖かかった、時間にも余裕が出来、ユックリと休む。熊ノ平小屋は予想通り空いていて、ゆったりと休むことが出来た。
山名

NO36、 塩見岳

年月日

1996年8月17日  単独

コース熊ノ平小屋(4:15)→(6:20)北荒川岳⇒北俣岳⇒(8:17)塩見岳(8:40)⇒(9:19)塩見小屋⇒(10:21)本谷山⇒(11:59)三伏峠小屋⇒(14:00)塩川小屋(14:30)→(15:37)伊那大島
コメント出発が遅れた為、少し慌てて歩いた。塩見岳東峰(最高峰)に予定通りに到着、少し安心した。雲で山頂からの展望は良くなかった。西峰にも登り、岩礫帯を慎重に下だった。本谷山に到着、水場に寄っても間に合うと判断し、 立ち寄ることにした。水分を補給し、再び歩き始め尾根に出ると、三伏峠ではなく、烏帽子岳だった。慌てて三伏峠に向かった。塩見小屋に着いた時には既にバスは出てしまった。ところが、運よく居合わせた地元の人の車に乗せてもらう事が出来、予定の列車に間に合った。
山名

NO37、 石鎚山

年月日

1996年8月31日  単独

コース伊予西条(7:41)→(8:35)石鎚ロープウエー前(8:50)→(8:59)成就駅⇒(9:20)成就⇒石鎚山⇒(11:20)天狗岳(11:45)⇒石鎚山⇒(13:05)成就⇒成就駅(13:30)→(13:39)石鎚ロープウエー前→(14:41)伊予西条
コメント30日に職場の同僚と四国の旅に車で出かけた。私は、石鎚山と剣山。同僚は車で観光地巡り。31日に列車とバス、ロープウエーを乗り継ぎ成就駅に到着、直ぐに歩き始めた。数珠つなぎの鎖場は全てまき道。 ハイカーが多い弥山に到着、天狗岳が雲の中に薄らと見えた。休憩後、岩稜の痩せ尾根を登り天狗岳に到着。まだ先に山が見える、南尖峰か?ここより高く見えるが、体力を考え中止。弥山に戻り、下山した。
山名

NO38、 剣山

年月日

1996年9月1日  単独

コース川之江(5:00)→(6:55)見の越駅(7:15)⇒(8:20)剣山(8:45)⇒(8:51)大剣神社⇒(9:45)見の越駅(10:56)→(23:15)東京
コメント1日、同僚に見の越まで送ってもらい、直ぐに登り始めた。風が強く、雨も降っていたので、登山者はいない。登山道は整備され歩き安かった。 霧で周りが見えない中、山頂に到着。付近は高山植物保護の為、木道が敷かれていた。雨を避け、山頂直下の小屋で昼食休憩をした。休憩後、縁結びの大剣神社で良縁を祈念し、 そばに湧き出ている病気を癒し・若返りの御神水をたらふく飲み、見ノ越に戻った。
山名

NO39、 巻機山

年月日

1996年9月16日  単独

コース巻機山駐車場(7:30)⇒焼松⇒(9:37)ニセ巻機山(9:47)⇒御機屋⇒(10:17)巻機山(10:25)⇒(10:45)牛ヶ岳⇒(11:10)巻機山(11:36)⇒(12:00)割引岳(12:20)⇒御機屋 ⇒(12:55)ニセ巻機山⇒焼松⇒(14:21)巻機山駐車場
コメント巻機山駐車場に車を止め、初心者コースを選んだ。焼松と前巻機山への急登を終え、前巻機山に着くと平らな山頂部が見えてきた。ここからはなだらかな道が 続き、尾根筋に出た。山頂は広く、360度の眺望があった。北に越後の山々、東に尾瀬、南に谷川岳周辺の山々が見えていた。牛ヶ岳まで足を伸ばし、御機屋 まで戻り、割引岳を往復し、来た道を戻った。途中、多くの登山者と言葉を交わし楽しい山旅となった。
山名

NO40、 苗場山

年月日

1996年10月6日  単独

コース(7:10)小赤沢→(7:30)3合目駐車場(7:45)⇒(9:23)分岐⇒(9:53)苗場山(11:12)⇒(11:45)分岐⇒(13:05)3合目駐車場(13:20)→(13:35)小赤沢
コメント晴れているが雲が多い。3合目駐車場は紅葉狩りのハイカーで満車。車を道端に止めて歩き始めた。岩で歩き難い所もあるが、木道が整備され 2時間半ほどで、休憩場所に到着。多くのハイカーが広大な草紅葉の湿原を見ながら寛いでいた。眺望は、北アルプス方面がわずかに見えるだけだった。山小屋裏の一等三角点の写真を撮り、 佐武流山を見ながら下山。小赤沢は赤や黄色に色付いた木々が鮮やかだった。
山名

NO41、 美ヶ原

年月日

1996年10月10日  単独

コース松本(8:55)→(10:13)美ヶ原高原(10:20)⇒(10:45)王ヶ頭⇒(11:05)王ヶ鼻(11:10)⇒(11:25)王ヶ頭⇒(11:45)塩クレ場⇒(12:10)牛伏山(12:20)⇒(12:40)塩クレ場⇒百曲り⇒(14:10)三城 ⇒(16:00)三城口→(16:40)松本
コメント美ヶ原高原バス停でバスを降り、最初に王ヶ頭に向かった。歩いている人は軽装で、登山姿は少ない。20分で王ヶ頭に到着。王ヶ鼻まで足を延ばした。着くと眼下に 駐車場、がっかり。ただ、ここからの槍ヶ岳や穂高岳や乗鞍岳や木曽御嶽山の眺望は素晴らしかった。美ヶ原高原まで戻り、塩クレ場(牛に塩をくれた場所)を経て牛伏山に登り、三城へ紅葉が素晴らしい 百曲りを下った。更に、三城口まで歩きバスに乗った。
山名

NO42、 久住山(九重山)

年月日

1997年3月31日  単独

コース大分(5:42)→(7:46)豊後中村(8:00)→(8:25)久住登山口(8:30)⇒すがもり小屋⇒(10:10)法華院温泉⇒(11:45)中岳(11:51)⇒(12:27)久住山(13:13)⇒(14:40)牧ノ戸峠(15:35)⇒(16:42)豊後中村→(19:44)大分
コメント前日に大分までJRの周遊券利用で到着。JR豊後中村駅からタクシーを女子大生2人と乗り合わせ、久住山登山口で降りた。2人と別れ、すがもり小屋・北千里コースに向かった。ところが、北千里コースは火山ガスの為 通行止め。仕方なく法華院から中岳経由で久住山へ登るコースに変更した。法華院から中岳までの間は荒れていて、崩れた所もあり緊張した。中岳から久住山に至る登山道は歩き易く、好天の下周りの景色を楽しみながら歩いた。久住山山頂 で長めの休憩を取り牧ノ戸峠へ下った。
山名

NO43、 祖母山

年月日

1997年4月1日  単独

コース大分(6:21)→(7:56)豊後竹田(8:40)→(9:11)神原(9:15)⇒(10:30)五合目小屋⇒(11:53)国観峠(12:00)⇒(12:38)祖母山(13:20)⇒(13:45)国観峠⇒(14:32)五合目小屋⇒(15:30)神原(16:25)→(17:00)豊後竹田
コメント快晴の下、歩き始める。一合目の滝まで林道。登山道には危険個所は無い。しかし、高度差があり、距離も長い。山頂からは傾山等が望めた。帰路、国観峠で振り返ると祖母山が素晴らしい。 ここで、全国を渡り歩き登山を楽しんでいる高齢の男女に会い、楽しいひと時を過ごした。神原に下り、豊後竹田に泊まり、阿蘇登山備えた。
山名

NO44、 阿蘇山

年月日

1997年4月2日  単独

コース豊後竹田(6:51)→(7:59)阿蘇駅(8:36)→(9:14)阿蘇西→(9:25)火口西⇒(10:25)中岳⇒(10:45)高岳(10:50)⇒火口西⇒(11:40)火口⇒(12:05)火口西→(12:15)阿蘇西(13:20) →(13:50)阿蘇駅(13:57)→熊本→東京
コメント今回の九州遠征登山最後の阿蘇山。天気予報は雨、行けるところまでと行くことにして出発。バスに乗り、草千里ヶ浜の池と放牧された馬を見終えると阿蘇西。 ここからロープウエーで火口西に到着。薄日が差してきたので登山開始。登山道は少し赤みを帯びた火山性の石ばかりで草木は生えていない。尾根に出ると風が強くなり、中岳 山頂では写真を撮るのに苦労した。高岳まで足を延ばし、往路を戻った。出会った登山者は1人だけ。阿蘇の噴火口を見てからロープウエーに乗り帰途に就いた。
山名

NO45、 恵那山

年月日

1997年5月25日  単独

コース三鷹(4:30)→(8:45)黒井沢登山口(9:00)⇒(9:26)休憩小屋⇒(10:15)野熊ノ池非難小屋⇒(11:48)山頂非難小屋⇒(11:53)恵那山(12:42)⇒(13:00)山頂非難小屋⇒(14:09)野熊ノ池非難小屋 ⇒(14:42)休憩小屋⇒(14:55)黒井沢登山口→(22:00)三鷹
コメント登山口から野熊ノ池まではとても良く整備された歩きやすい登山道。過ぎると、木株や石ころが多くなり非常に歩き難かった。でも、南アルプスの山々、塩見岳や荒川岳や赤石岳 等が見え楽しませてくれた。頂上には多くのハイカーが休憩していた。展望は木が有りあまりよくなかった。休憩後最高点を探し、写真を撮って駐車場に戻った。
山名

NO46、 会津駒ヶ岳

年月日

1997年6月1日  単独

コース浅草(前夜23:50)→(3:18)会津高原(4:55)→(5:50)駒ヶ岳登山口(5:56)⇒(8:27)駒大池⇒(8:45)会津駒ヶ岳(8:56)⇒(9:10)中門岳⇒(9:47)駒大池(10:25)⇒(12:30)駒ヶ岳登山口(12:47) →(13:57)会津高原(15:00)→(18:02)浅草
コメント浅草発の東武の夜行列車に乗り、会津高原に向かった。バスに乗り換え、駒ヶ岳登山口で降りすぐに登り始めた。1800m付近に達すると視界が開け、山頂に続く雪の尾根が見晴らせた。駒大池は雪の下。 緩やかな広い尾根を登り山頂に到着。雪は無く、木で覆われ展望は良くなかった。駒ヶ岳から中門岳への下り、素晴らしい景色が待っていた。1mほどの 積雪の尾根歩きを楽しみ、中門岳山頂らしきところに到着。燧岳や越後三山や平ヶ岳や至仏山が聳えていた。写真を何枚も撮り、引き返した。
山名

NO47、 燧ケ岳

年月日

1997年6月8日  単独

コース浅草(前夜23:50)→(3:18)会津高原(5:00)→(6:37)尾瀬御池(6:50)⇒(7:33)広沢田代⇒(9:15)俎嵓(9:40)⇒(9:57)柴安嵓(10:42)⇒(10:57)俎ぐら⇒長英新道⇒(13:08)出合 ⇒大江湿原⇒(14:25)沼尻峠休憩所(14:40)→(16:30)会津高原(16:46)→(20:03)浅草
コメント登山道に入ると所々に雪が残っていた。特に雪渓を横切るときはユックリ慎重に渡った。俎嵓では7~8人が、尾瀬沼や尾瀬ヶ原、至仏山、日光の山々の景色を楽しんでいた。 最高峰柴安嵓からは360度の眺望があり、更に良かった。下山は長英新道を選択。雪の残っている所を走って下ったので、足を滑らせ1mほど落ちた。運悪く背中に石が当たり、ろっ骨にひびが入っ てしまった。痛みを堪え、何とか沼尻に下山。
山名

NO48、 鳳凰三山

年月日

1997年7月20~21日  飲み仲間5+2人 

コース20日 韮崎(8:51)→(9:28)御座石鉱泉(9:40)⇒(13:29)燕頭山(14:00)⇒(16:55)鳳凰小屋 21日 鳳凰小屋(3:55)⇒(4:58)地蔵岳(5:30)⇒(8:05)観音岳(8:33)⇒(9:05)薬師岳(9:40) ⇒(11:00)南御室小屋(11:20)⇒(13:40)杖立峠(13:50)⇒(15:00)夜叉人峠(15:12)⇒(15:55)夜叉人登山口(16:12)→(18:33)甲府
コメント20日 韮崎駅で4人と待ち合わせて、タクシーで御座石鉱泉へ。登りは40分歩いて10分休憩のペースでユックリと進んだ。それでも、燕頭山までの急登は辛かった。 燕頭山からはなだらかな道になり鳳凰小屋に到着。ここで知り合った若い姉妹とお酒を飲みながら意気投合。 21日 早めに歩き始め、ざれ場の急登を終え地蔵岳へ到着。甲斐駒ケ岳と仙丈ヶ岳が素晴らしかった。 観音岳までの稜線から北岳や間ノ岳や農鳥岳が一望できた。追いついた姉妹と記念撮影をして薬師岳を経て下山した。 
山名

NO49、 八甲田山

年月日

1997年7月26日  単独

コース青森(7:30)→(8:50)酸ヶ湯温泉(9:00)⇒(10:15)仙人岱(10:30)⇒(10:50)高田小岳(11:50)⇒(12:11)仙人岱⇒(13:00)大岳(13:20)⇒(13:56)井戸岳⇒(14:06)赤倉岳⇒(14:26)大岳ヒュッテ ⇒毛無岱⇒(15:50)酸ヶ湯温泉(16:00)→(17:00)青森
コメント25日は青森で一泊。26日バスで酸ヶ湯温泉へ。直ぐに歩き始め、仙人岱で一休み。美味しい湧水を飲んで高田大岳に向け出発。20分で小岳に到着、先を急いだ。所が、笹薮でペースが上がらず高田大岳を断念し、仙人岱に戻った。 50分で最高峰大岳山頂に到着。360度の眺望、雄大な毛無岱の向こうに岩木山や津軽海峡が見えた。赤倉岳まで足を延ばし、上毛無岱に下った。湿原に咲く高山植物と、聳える大岳がとても素晴らしかった。 酸ヶ湯温泉に戻り、今日の宿弘前に向かった。
山名

NO50、 岩木山

年月日

1997年7月27日  単独

コース弘前(7:10)→(8:01)岳温泉(8:04)⇒(9:54)八合目(10:30)⇒(11:03)岩木山(11:38)⇒(12:28)八合目(13:00)→(14:10)弘前→東京
コメント岳温泉でバスを降り、歩き始める。登山者は全くいない。高度差800mの急斜面を登り、八合目に到着。バス利用のハイカー等で溢れていた。 再び登り始めると、またハイカーが少なくなった。多くのハイカーはリフトを使っていた。最後の2段の岩場の上りはリフト登山と一緒になり大混雑。山頂からは八甲田山や 日本海や津軽海峡の向こうに北海道の山々が望めた。八合目まで戻り、バスで弘前に出て、帰途に就いた。
山名

NO51、 吾妻山

年月日

1997年8月3~4日  単独

コース3日 東京→福島(8:00)→(9:10)浄土平⇒(10:10)一切経山(10:25)⇒(11:08)姥ケ原⇒(11:40)東吾妻山(11:55)⇒姥ケ原⇒(14:25)吾妻小富士⇒(14:45)浄土平(15:05) →福島→米沢 4日 米沢(6:50)→(7:35)天元台(8:20)→(9:15)北望台山⇒(11:00)西吾妻山(11:10)⇒(13:20)人形石⇒(14:10)北望台山→(15:06)天元台(15:40)→米沢→東京
コメント3日 最高峰西吾妻山に登る前に、一切経山と東吾妻山と吾妻小富士に登った。交通の便が良いからか?観光客が溢れていた。4日 米沢からバス、ロープウエーと 乗り継ぎ、北望台山に到着。ガスも心配するほどではなかったので登山開始。ところが、凡天岩まで来るとガスが濃くなり道が分からなくなった。行ったり来たりして、登山道を見つけ、西吾妻山頂に 到着。眺望は無かった。西大巓まで足を伸ばす予定を、ガスの為諦めた。北望台山に戻る途中ガスが晴れ、昨日登った山々が見えた。
山名

NO52、 至仏山

年月日

1997年8月7日  単独

コース沼田(8:10)→(9:42)戸倉(10:00)→(10:20鳩待峠(10:30)⇒(11:50)オヤマ沢田代⇒(12:10)小至仏山(12:20)⇒(12:46)至仏山(13:15)⇒(14:00)小至仏山⇒(14:20)オヤマ沢田代⇒(15:20)鳩待峠(15:30)→(15:50)戸倉(16:40) →沼田
コメント戸倉でバスを乗り継ぎ、鳩待峠に到着。駐車場は満杯、ハイカーで混雑していた。至仏山への登山道に入り、ハイカーは少なくなった。ハイカーは尾瀬ヶ原を目指しているようだ? オヤマ沢田代に着くと、燧岳が見え湿原には多くの高山植物が咲き誇っていた。ウスバウスユキソウやアヤメ、リュウキンカ、カワラナデシコ等。直ぐに、小至仏山に到着、ここから岩が多くなり、 少し歩き難くなった。至仏山山頂からはガスで、見晴は良くなかった。時折、燧岳と尾瀬ヶ原が見えるだけであった。同じ道を引き返した。
山名

NO53、 常念岳

年月日

1997年8月17日  単独

コース下高井戸(2:30)→(6:18)ヒエ平手前駐車場(6:25)⇒(6:40)ヒエ平(6:50)⇒(9:55)常念乗越(10:05)⇒(11:05)常念岳(11:26)⇒(12:20)常念乗越(13:06)⇒(15:27)ヒエ平(15:35)⇒(15:50)駐車場(16:19)→(22:00)三鷹
コメントコースタイムは往復10時間、日帰りの為に家を3時前に出た。ヒエ平手前の駐車場に車を止め、沢筋の長い道を歩き、高巻を過ぎた。水場で一休み、高山植物が綺麗であった。 急登を終えると常念乗越。ビックリ!急に視界が開け、正面の常念小屋の後ろに槍ヶ岳が聳えていた。素晴らしい景色に圧倒された。最後の400mはとても辛かった。寝不足が祟ったのだろう?常念山頂からは 360度の眺望が楽しめた。常念山頂は狭かったので、常念乗越まで戻り昼休憩にした。駐車場に下り帰途に就いた。
山名

NO54、 五竜岳

年月日

1997年8月30日  単独

コース新宿(前夜23:50発)→(5:31)神城(5:40)⇒(6:10)遠見(7:00)→(7:08)アルプス平(7:15)⇒小遠見山⇒大遠見山⇒(10:20)白岳(10:30)⇒(10:40)五竜山荘(11:15)⇒(12:02)五竜岳(12:15)⇒(14:07)口ノ沢のコル⇒(15:00)キレット小屋
コメント神城駅からテレキャビン乗り場まで歩き、始発を待つ間に朝食。アルプス平で降りると登山者は30人ほど。お花畑を通り、遠見山。山頂から長い尾根を白岳まで登り、五竜山荘に到着。ガスで五竜岳が見えなくなってきた。 40分ほどで五竜山頂に到着、ガスで展望は無い。ここから登山道が一変した。滑りやすく浮石が多くなり、鎖場と梯子がキレット小屋まで続いていた。キレット小屋はとても綺麗で、食事もおいしかった。
山名

NO55、 鹿島槍ヶ岳

年月日

1997年8月31日  単独

コースキレット小屋(5:00)⇒(6:07)鹿島槍ヶ岳北峰(6:15)→(6:40)鹿島槍ヶ岳南峰(7:04)⇒布引山⇒(8:03)冷池山荘⇒(9:03)爺ヶ岳(9:36)⇒(9:58)種池山荘⇒(11:58)扇沢(12:30)→(12:59)信濃大町→下高井戸
コメント八峰キレットの通過を考え、明るくなってから出発。急登、梯子、鎖場、そしてキレットの鎖場と息が抜けなかった。鹿島槍ヶ岳北峰に到着すると、剣岳や立山連峰、薬師岳、遠く槍・穂高の名立る山々が出迎えてくれた。 30分ほどで南峰に到着。こちらが鹿島槍ヶ岳の名を冠している。冷池山荘から次から次へと登って来る登山者で賑やかだった。南峰からと同じ眺望を楽しみ、下山開始。登山道は広くとても歩きやすくなった。爺ヶ岳で北アルプス最後の眺望を楽しみ、扇沢に 下り帰途に就いた。
山名

NO56、 乗鞍岳

年月日

1997年9月21日  単独

コース新宿(前夜23:50)→(4:45)新島々(4:50)→(5:50)上高地(7:55)→(9:00)平湯温泉(9:05)→(9:50)畳平(10:25)⇒(10:50)肩の小屋⇒(11:25)剣ヶ峰(11:45)⇒(12:30)摩利支天岳⇒(13:00)富士見岳⇒魔王岳⇒(13:28)畳平(14:40) →(16:20)新島々(16:41)→新宿
コメント上高地でのバス待ちの間に観光客の仲間入りをしてから、バスを乗り継ぎ畳平で下車。駐車場は車で溢れていた。先ず、剣ヶ峰を目指して歩き始めた。肩の小屋を過ぎると、山頂を目指すハイカーが蟻のように繋がっていた。 山頂は満員、展望は無し。お守りを購入してから直ぐに引き返し、摩利支天岳、富士見岳の順に登った。どちらからも展望無し、ハイカーは少なかった。最後に、魔王岳に登り畳平に戻った。
山名

NO57、 焼岳

年月日

1997年10月10日  単独

コース新宿(前夜23:20)→(4:45)新島々(5:15)→(6:55)上高地(7:15)⇒(7:38)田代橋⇒(9:22)新中尾峠(10:00)⇒展望台⇒(11:05)焼岳(11:32)⇒(12:22)新中尾峠⇒(13:55)上高地(14:30)→(16:05)新島々(16:41)→新宿
コメント3連休の前日、夜行列車は大混雑。松本駅では新島々行き列車に乗れない登山者が出た。新島々ではバスが次から次と来たので、直ぐに乗れた。 バスはトンネル内で大渋滞、上高地到着が1時間遅れた。登山道は焼岳小屋手前が梯子のある300mほどの急登。展望台手前から森林限界を越え、笠ヶ岳や穂高連峰や槍ヶ岳が見え始めた。焼岳山頂直下はザレ場の急登で、浮石が多い。 噴煙を見ながら十分注意して登った。山頂からは富士山や南アルプスや白山、北アルプスの眺望を十分楽しんだ。
山名

NO58、 霧島山

年月日

1998年4月3~4日  単独

コース3日 羽田空港→宮崎空港→宮崎(11:45)→(13:03)霧島神宮(13:10)→(13:30)高千穂河原(14:00)⇒(15:15)高千穂峰 4日 高千穂峰(5:35)⇒(6:20)高千穂河原(6:50)⇒(7:35)中岳(7:50) ⇒(8:15)新燃岳⇒(8:56)獅子岳⇒(10:24)韓国岳(11:07)⇒(11:55)えびの高原(12:07)→(14:30)宮崎→宮崎空港→羽田
コメント霧島山という固有の山は無く、韓国岳から高千穂峰に連なる山群の総称。3日 飛行機と鉄道とタクシーを利用し、高千穂河原に到着。歩き始め、松林を抜けると 富士山を思わせる登山道。火口を離れ急登を登ると、日章旗と剣が目立つ山頂に到着。明日登る山々が見えていた。4日 高千穂河原まで下り、中岳に登り返した。木が生えない登山道を新燃岳、獅子岳、韓国岳 と順に登った。最高峰韓国岳からは春霞がかかり、遠くは見えなかった。観光地えびの高原に下り帰途に就いた。 
山名

NO59、 魚沼駒ヶ岳

年月日

1998年7月5日  単独

コース枝折峠(7:40)⇒(8:10)明神峠⇒(8:52)道行山⇒(9:33)小倉山⇒(10:16)百草の池⇒(11:37)魚沼駒ヶ岳(13:00)⇒(13:44)百草の池⇒(14:11)小倉山⇒(15:00)道行山⇒(15:35)明神峠⇒(16:00)枝折峠(16:30)
コメント車利用で、最短コースを登ることにした。朝の内に降っていた雨は上がり、登山開始。小倉山までは急な上りは短いが、アップダウンが多い。百草の池から山頂までは500mほどを登る。駒の小屋手前は岩場で注意が必要。 山頂には多くの登山者が休憩していた。混雑を避け駒の小屋まで戻って昼食にした。時折、雲が切れ平ヶ岳や燧岳が望めた。居合わせた単独行の女性と山談義をし、ぬかるんだ道を引き返した。
山名

NO60、 高妻山

年月日

1998年7月20日  単独

コース長野(6:55)→(8:02)戸隠キャンプ場(8:10)⇒(9:53)一不動非難小屋⇒(10:46)五地蔵岳(11:00)⇒八丁ダルミ⇒(12:29)高妻山(13:14)⇒八丁ダルミ⇒(14:30)五地蔵岳⇒(15:08)一不動非難小屋⇒(16:30)戸隠キャンプ場(17:13)→(18:18)長野(18:42)→東京
コメント19日に新幹線を利用し、長野で宿泊。朝一番のバスに乗り、戸隠キュンプ場で下車。牧場入口で登山届を出し、登り始めた。沢沿いの登山道を1時間ほど登ると、帯岩のトラバース。渡りきると道を失い ウロウロ、直ぐに最後の水場を見つけ、一安心。非難小屋に出てからの尾根道は濡れた岩で滑りやすく緊張した。山頂からは何も見え無かったので、ユックリ昼食休憩を取り、往路を引き返した。
山名

NO61、 後方羊蹄山

年月日

1998年8月26日  単独

コース倶知安(6:55)→(7:03)比羅夫⇒(7:26)羊蹄山登山口⇒(7:50)半月湖⇒(9:53)6合目⇒(11:41)羊蹄山⇒お鉢周り(12:50)⇒(14:04)6合目⇒(15:23)半月湖(16:00)⇒羊蹄山登山口⇒比羅夫(16:49)→(19:20)小樽
コメント25日に鉄道を利用し倶知安に入った。26日 朝一番の列車に乗り、比羅夫で降り歩き始めた。5合目までの樹林帯の下を快調に登り、過ぎると急登に喘ぎ始めた。9号目を過ぎると、高山植物がとても 綺麗であった。お鉢巡りに入ると風が強くなり、霧が濃くズボンが濡れてしまった。15人ほどが居る山頂らしき所に到着(旧山頂真狩岳)。霧で先が見えない、でもここが最高点でないことが分かっていたので、また歩き始めた。最高点の道標を 見つけ、一安心。お鉢を一周し、9合目から同じ道を下った。
山名

NO62、 奥穂高岳

年月日

1998年8月3~4日  単独

コース3日 新宿(前夜発23:50)→(4:45)新島々(4:50)→(5:50)上高地(6:45)⇒(8:55)岳沢ヒュッテ 4日 岳沢ヒュッテ(4:50)⇒(6:47)紀美子平⇒(7:15)前穂高岳(7:25)⇒(8:06)紀美子平⇒(9:20)奥穂高岳(9:30)⇒(10:06)穂高岳山荘(10:15) ⇒(11:42)涸沢ヒュッテ(12:06)⇒(13:30)横尾⇒(15:50)上高地(16:30)⇒(17:40)新島々→新宿
コメント3日 夜行利用で上高地に入った。上高地で登山準備をしていると、雲が切れ薄日が差してきたので歩き始めた。岳沢ヒュッテに到着すると、雨が再び降り出したのでここで滞留することにした。 4日 4時に目を覚ますと雨は上がっていた。岩は雨でぬれ滑りやすいが、慎重行動を心がけ登り始めた。ただ、前穂の下りで1度だけヒヤットした。紀美子平から奥穂高岳までは、道がなだらかになり、登山者と挨拶を 交わせたので緊張感が薄らいだ。霧雨の奥穂高岳で記念撮影を撮り、上高地に一挙に下った。
山名

NO63、 大山

年月日

1998年8月7日  単独

コース大山寺(5:30)⇒(5:40)夏山登山口⇒(6:40)分岐⇒(7:32)大山弥山(8:00)⇒(8:30)分岐⇒行者コース⇒(9:30)登山口⇒(10:05)大山寺→(11:12)米子(13:25)→(13:55)米子空港(14:25)→(16:00)羽田空港
コメント6日に鉄道を乗り継ぎ米子で下車。バスに乗り換え大山寺で降り宿に入った。7日 天気予報は曇り、あまりよくない。夏山登山道利用で登り始めた。5合目あたりから雨、6合目を過ぎると雨は上がった。8合目から木道になりとても歩き易くなった。 しかしながら、霧は濃くなり、風は強くなり、視界はきかず、じっとしていると濡れてしまう状態になった。山頂は更に悪く、写真だけで非難小屋に逃げ込んだ。非難小屋には売店があり、6人ほどが休憩していた。下山は大山伽羅木の群生を見て、登山口に戻った。 剣ヶ峰には崩れる前に進めば大丈夫と言われたが、未熟な私は断念した。
山名

NO64、 開聞岳

年月日

1998年8月16日  単独

コース西鹿児島(5:12)→(6:54)開聞⇒(9:25)開聞岳(9:50)⇒枚聞神社⇒(11:20)開聞(12:02)→(12:34)山川(13:18)→(14:40)西鹿児島(15:05)→天王子
コメント15日に新幹線を利用し鹿児島に入った。16日 開聞駅に降りると大きなザックが散らばっていた。疑問に思いながら、枚聞神社の参拝を後回しにして歩き始めた。湿度が高くとても暑く、汗だくで登っていると、 若者が空身で下って来た。ザックの理由が分かった。登山道はらせん状、海が見えたり畑が見えたりした。山頂から種子島や屋久島は見えず、佐多岬辺りが見えるだけだった。下山後、枚聞神社に参拝を済ませバスで山川に出た。 それから、17日の大台ケ原山登山の為大阪に向かった。 
山名

NO65、 大台ケ原山

年月日

1998年8月17日  単独

コース大阪阿倍野(6:35)→(7:54)大和上市(8:15)→(9:47)大台ケ原(10:10)⇒(11:00)日出ヶ岳[大台ケ原山](11:15)⇒(12:00)大蛇ぐら(12:35)⇒大台山の家⇒(13:30)大台ケ原(14:30)→(16:20)大和上市(16:39)→(17:51)大阪阿倍野→(22:07)東京
コメント大台ケ原山は一等三角点の基準点名。地図上では日出ヶ岳。16日に天王寺に泊まった。17日、朝一番の電車に乗り、大和上市でバスに乗り換え大台ケ原で下車。広い駐車場は標高1600m付近にあり、観光客が溢れていた。好天下、苔むした木々の中を歩き始めた。1時間ほどで山頂に到着。 360度の眺望が有り、大峰山等が望めた。次に、トウヒの枯れ木の林を通り過ぎ大蛇ぐらへ。ここは絶壁に細長い岩が張り出しているところ、先まで行くと絶景が見られた。大台ケ原に戻り、帰途に就いた。
山名

NO66、 八ヶ岳

年月日

1998年9月6日  単独

コース三鷹台(3:40)→(6:25)杣添登山口(6:45)⇒(9:11)三叉峰(9:23)⇒(10:25)赤岳(10:35)⇒(11:45)三叉峰⇒(12:00)横岳(13:00)⇒三叉峰⇒(15:12)杣添登山口(15:40)→(21:00)三鷹台
コメント日帰りするため杣添尾根コースにした。車を別荘地奥の駐車場に止め、長い尾根に取りついた。濡れた木の根と石に十分注意しながら三叉峰まで登った。ここから急斜面になったが 梯子や鎖が設置されていたので、思ったより緊張せずに登れた。ただ、赤岳への最後の上りはきつかった。赤岳山頂からは展望がなかったので、直ぐに横岳に向かった。登山者が多く、擦れ違うのにとても時間がかかった。 横岳に着くと、雲が切れ南アルプスや中央アルプスや奥秩父が見晴らせた。景色を楽しみ下山した。
山名

NO67、 立山

年月日

1998年9月20日  単独

コース新宿(前夜発23:50)→(5:05)信濃大町(5:15)→(5:40)扇沢(7:30)→(9:25)室道(9:45)⇒(10:04)一の越(10:20)⇒(10:55)雄山(11:20)⇒(11:35)大汝山⇒(11:53)富士ノ折立(12:05)⇒(12:50)雄山⇒(13:20)一の越→(13:45)室道(14:15)→(15:51)扇沢(15:55)→(16:25)信濃大町(16:31)→(17:31)松本(18:31)→(21:15)新宿
コメント扇沢からトロリーバスやケーブルカー等を乗り継ぎ室道に到着。素晴らしい天気に誘われ、多くの観光客で一杯。満員の雄山山頂で、お祓いを受け、最高峰大汝山に向かった。観光客はここまでは来ていなかった。狭く、先を急いだ。 富士ノ折立への途中、白山や荒島岳や能登半島等が見えた。山頂は2人だけ、座り込んで景色を楽しんだ。白馬から鹿島槍ヶ岳や針ノ木岳、北アルプスの名立たる山は言うに及ばず、南アルプスや富士山等の多くの山々が一望できた。混雑の中下山し 帰途に就いた。
山名

NO68、 雨飾山

年月日

1998年10月4日  単独

コース新宿(前日発23:50)→(5:05)信濃大町(5:15)→(5:54)南小谷(6:10)→小谷温泉→(6:30)登山口(7:10)⇒(8:20)荒菅沢⇒(9:04)笹平⇒(9:24)雨飾山(10:30)⇒(12:00)荒菅沢⇒(12:50)登山口(13:00)⇒(13:51)小谷温泉(15:10)→(15:45)南小谷(16:05)→新宿
コメント大糸線で乗り合わせた登山者に誘われ、南小谷からタクシーで登山口の先まで入った。予定より2時間ほど早く歩き始めたが、ツアーの団体等で登山道は混雑、思うように歩けなかった。 笹平が近づくと、雲間に火打山や焼山や妙高山が見えた。山頂では、白馬岳や鹿島槍ヶ岳等が一瞬だけ姿を現した。昼食休憩を取っていると、名前通り雨が降り出し、慌てて下山を開始。小谷温泉まで下り、入浴後帰途に就いた。
山名

NO69、 妙高山

年月日

1998年10月10日  単独

コース東京(6:20)→(8:59)関山(9:03)→(9:20)燕温泉(9:23)⇒(10:50)天狗平⇒(12:10)妙高山(12:30)⇒(13:27)長助池⇒(14:03)小金清水泉⇒(15:00)麻平⇒(15:30)燕温泉(16:23)→(16:38)関山(16:46)→(18:38)東京
コメント今にも泣きだしそうな空模様。早めに登頂、早めの下山を目指した。天狗平経由の上りはとても歩きやすく、予定より早く山頂に到着した。山頂からの展望は無く、雨が降り出したので食事の途中で下山開始。 途中からみぞれになり、黄金清水泉からの荒れた道と、濡れた登山道に手こずり予定より遅れてしまった。燕温泉で体を温め、バスに乗った。同乗した女性が「山頂は雪になり、登頂を断念した。」と言っていた。
山名

NO70、 荒島岳

年月日

1998年11月1日  単独

コース上野(前日発23:54)→(7:50)福井(9:03)→(10:15)勝原(10:22)⇒(10:34)登山口⇒(12:03)シャクナゲ平⇒(12:44)荒島岳(13:15)⇒(13:58)シャクナゲ平⇒(14:50)登山口(15:20)⇒(15:30)勝原(16:42)→(17:48)福井→米原→(21:42)東京
コメント勝原駅に降りたのは私だけ。駅前の案内図を見て、歩き始めた。1つ目のスキー場のリフト脇を進み、2つ目のリフト脇の急登を終えると深谷ノ頭。過ぎるとなだらかになり、シャクナゲ平。 ここからは山頂に続く主稜尾根。途中、「もちがかべ」という難所があるが、慎重に登れば問題なし。山頂は広く祠がある。雨が降り出し、急いで下山。勝山駅で列車待ちの間、餌をねだる犬が相手をしてくれ たので退屈しなかった。
山名

NO71、 火打山

年月日

1999年8月1日  単独

コース長野(6:36)→(7:15)妙高高原(7:55)→(8:36)笹ヶ峰⇒(10:34)富士見平⇒(11:10)高谷池ヒュッテ⇒(12:42)火打山(13:16)⇒(14:15)高谷池ヒュッテ⇒(16:10)笹ヶ峰(16:30)→(17:20)妙高高原(17:32)→(18:20)長野→東京
コメント前日に長野に入りホテル泊。列車とバスを乗り継ぎ、笹ヶ峰から歩き始めた。樹林帯の中の緩やかな上りから、十二曲がりの急登を越えると富士見平。分岐を左に取り、高谷池ヒュッテ を経て、天狗の庭に到着。女性的な山容の火打山が素晴らしい。山頂からは360度の眺望、しかし残念ながら雲がかかり高妻山や隣の妙高山や黒姫山しか見えなかった。帰りのバスの時間が有り、少しの休憩だけで引き返した。
山名

NO72、 羅臼岳

年月日

1999年8月4日  単独+1(木下小屋から)

コース木下小屋(4:40)⇒(6:00)弥三吉水(6:15)⇒(6:50)銀冷水⇒(7:38)三ッ峰(7:50)⇒(8:45)羅臼岳(9:10)⇒(9:30)三ッ峰⇒(10:24)銀冷水⇒(10:54)弥三吉水⇒(11:40)岩尾別温泉(13:00)→(14:36)知床自然センター→(15:40)知床斜里
コメント3日 北海道に飛行機で入り、木下小屋に宿泊。テント場に熊が出て、下山してきた登山者が居た。4日 大阪からバイクで来ている65歳の男性と一緒に歩き始めた。男性のペースは速く、休憩も取らないので辛かった。 羅臼平で写真休憩、石清水で喉を潤す程度で山頂に到着。360度の展望、近くに硫黄岳、奥にオホーツク海と国後島、後ろに斜里岳が望めた。風が強く寒かったので、直ぐ下山開始。私は羅臼平で写真を撮るため、斜里岳登山の同行を約束して男性と別れた。 下山後、知床斜里に向かった。
山名

NO73、 斜里岳

年月日

1999年8月5日  単独+1(清岳荘から)

コース知床斜里(6:30)→(6:51)清里(6:53)→(7:20)清岳荘(7:30)⇒(7:50)下二股⇒(9:15)上二股⇒(10:00)斜里岳(10:25)⇒(10:50)上二股⇒(11:20)熊見峠⇒(12:00)下二股⇒(12:30)清岳荘(13:00)→(14:13)知床斜里(14:45)→(20:56)旭川
コメントバスとタクシーを乗り継ぎ、清岳荘に到着。昨日約束した男性と合流、直ぐに歩き始めた。沢筋の登山道であったが、滑らなかった。途中、羽衣の滝や七重の滝で休憩を取ったが、男性が先を急ぐので少し辛かった。尾根に出ると、国後島や 羅臼岳が見えた。右が切れた馬の背を通過すると山頂。知床半島や斜里の町や清里の町が見えた。残念ながら反対方向は見えなかった。男性は先を急いでいたので、別れてユックリと下だった。清岳荘に戻り、タクシーとバスと列車を乗り継ぎ旭川に 向かった。
山名

NO74、 十勝岳

年月日

1999年8月7日  単独

コース旭川(5:51)→(6:45)上富良野(7:00)→(7:15)十勝岳温泉(7:20)⇒三段山⇒(9:15)大砲岳⇒(9:50)十勝岳(10:00)⇒(10:20)大砲岳⇒(11:10)上富良野山⇒(12:35)十勝岳温泉(14:07)→(14:50)上富良野(15:29)→(22:50)羽田
コメント6日の天気が悪かったので、十勝岳を諦め黒岳に登った。7日 大雨警報が出ていたが、上富良野からタクシーに乗ると雲が切れてきた。天気の回復を願って十勝岳温泉から歩き始めた。最短距離を考え三段山コースを選んだ。 三段山を越え大砲岳まではガレ場の難コース、少し緊張した。草木の無い、軽石のような登山道をずり落ちながら登り山頂に到着。視界は全くない、直ぐに下山を開始。帰路は一般コースで、上富良野山経由で十勝岳温泉に戻った。 温泉に浸かり、上富良野岳を見上げた。
山名

NO75、 白山

年月日

1999年8月17~18日  単独

コース17日 金沢(6:40)→(8:50)別当出合(9:00)→(11:00)殿ヶ池非難小屋⇒(11:52)黒ボコ岩⇒(12:30)室道センター⇒御前峰⇒室道センター 18日 室道センター(4:10)⇒(4:50)御前峰(5:20)⇒千蛇ヶ池⇒(5:50)大汝峰(6:00)⇒(7:00)室道センター(8:15)⇒(8:30)黒ぼこ岩⇒(9:08)甚之助非難小屋⇒(10:10)別当出合(11:00)→金沢→東京
コメント16日に金沢のビジネスホテルに泊まった。17日 朝一番のバスで別当出合に到着。心配していた天気も持ち直したので、 観光新道を登る事にした。黒ボコ岩までは急な上りであったが、弥陀ヶ原に着くと平坦な木道になった。最後の上りを終え室道センターに到着。そのまま、沢山の高山植物を見ながら御前峰まで登った。 山頂から剣ヶ峰しか見えず、室道センターに戻り小屋に入った。18日 神社の太鼓が鳴ったので直ぐに身支度を整え登り始めた。槍ヶ岳の北寄りから、太陽が顔を出した。展望も素晴らしく、御嶽山や乗鞍岳や南北アルプスや八ヶ岳の山々が望めた。千蛇ヶ池を経て大汝山まで足を延ばし、室道センターに戻った。食事を済ませ、砂防新道を下った。
山名

NO76、 槍ヶ岳

年月日

1999年8月31~9月1日  単独

コース31日 松本(4:32)→新島々→(5:40)上高地(6:00)⇒(9:20)槍沢ロッジ⇒(13:20)槍ヶ岳山荘(13:40)⇒(14:05)槍ヶ岳⇒(14:30)槍ヶ岳山荘 1日 槍ヶ岳山荘(5:30)⇒(7:20)槍沢ロッジ(7:35)→(10:45)上高地(11:30)→(13:19)新島々→松本→(16:30)新宿
コメント30日に松本のビジネスホテルに泊まった。31日 松本を始発で発ち、上高地に6時前に到着。横尾までは広い道で観光客も多かった。そこからはなだらかな登山道、槍沢ロッジで一休み。次のババ平でホースからの冷水で喉を潤し、元気を取り戻した。 次第に急斜面になり、息を切らしていると、今日私を追い抜いて行った登山者が下って来た。日帰りだそうだ!槍ヶ岳山荘に到着後、雨具を着けて山頂に向かった。岩場には鎖や梯子が整備され、最後の梯子以外緊張しなかった。山頂は満員、展望も無い。証拠写真だけで小屋に戻った。 1日 雨が強く、山頂には向かわず下山した。
山名

NO77、 白馬岳

年月日

1999年9月5日  単独

コース新宿(前夜発23:50)→白馬(5:45)→猿倉(6:15)⇒(7:00)白馬尻荘⇒(10:15)白馬山荘⇒(10:30)白馬岳(11:00)⇒(13:31)白馬尻荘⇒(14:15)猿倉(14:20)→(14:40)白馬→新宿
コメント前回、猿倉で満員のバスを降りた時は雨で登山を諦めた。今回、猿倉行きバスはガラガラ。下車後、日帰りの為直ぐに歩き始めた。白馬尻荘からは雪渓のはずが、前のハイカーが雪渓脇の 登山道を登っていた。暫らく上り、いよいよ雪渓歩きが始まるかと思った。しかし、クレパスが大きな口を開いていたので登山道は土の上だった。山頂からの展望は雲の為無し、証拠写真 と昼食休憩を済ませ往路を引き返した。
山名

NO78、 浅間山

年月日

1999年9月12日  単独

コース東京(6:26)→(7:42)佐久平(8:40)→(9:35)車坂峠(9:50)⇒(10:34)槍ヶ鞘非難小屋⇒(10:42)トーミの頭⇒(10:52)黒斑山(11:25)⇒トーミの頭⇒中コース⇒(12:15)車坂峠(13:27)→(14:25)佐久平→新宿
コメント浅間山山頂には火山活動の影響で立ち入りは禁止。規制されていない黒斑山まで登ることにした。観光客で溢れる車坂峠から歩き出した。何人も追い越して1時間ほどで山頂に到着。 展望なし、浅間山も見えない。直ぐに下り始め、高山植物を楽しみながら引き返した。03年に小浅間山に、13年に立ち入り禁止が解けた前掛山に登った。
山名

NO79、 宮之浦岳

年月日

2000年4月5日  単独

コース安房(4:30)→(6:15)淀川小屋入口(6:22)⇒(6:58)淀川小屋(7:15)⇒(8:23)花之江河(8:33)⇒(10:15)栗生岳(10:30)⇒(10:45)宮之浦岳(11:37)⇒(11:50)栗生岳⇒(12:35)花之江河⇒(14:50)淀川小屋(15:20)⇒(15:50)淀川小屋入口(16:00)→(16:50)安房
コメント4日 列車と船を利用し安房に到着、雨が酷く非難小屋泊まりを諦め民宿に泊まることにした。5日 綺麗な女将さん(水明荘)に用意してもらったおにぎりを持って、タクシーで淀川小屋入口に入った。雨は上がり、栗生山に着くころには青空が見えていた。 山頂には先客が3人いた。山頂からは遠く、雲の上に霧島山が見えていた。直ぐ近くに見える山頂がでこぼこの永田岳にも行きたかったが、タクシーの予約があり渋々引き返した。帰路、タクシーは送迎料金を入れて倍取られた。注意が必要!
山名

NO80、 笠ヶ岳

年月日

2000年7月30~31日  単独

コース30日 新宿(前夜発23:00)→(6:15)新穂高温泉(6:30)⇒(7:30)中崎橋⇒(10:20)杓子平⇒(12:40)笠ヶ岳山荘⇒笠ヶ岳⇒笠ヶ岳山荘 31日 笠ヶ岳山荘(4:45)⇒(6:32)杓子平⇒(9:05)中崎橋⇒(10:40)新穂高温泉(11:40)→(13:13)高山→東京
コメント30日 台風が九州付近に来ており、少し不安であったが、天気予報の曇りを信じて夜行バスで出発。日帰りをするつもりだったので、写真も撮らずにどんどん登った。杓子平を過ぎると疲労し始め、日帰りを断念し小屋泊まりにした。 天気が悪く、山頂からの展望は無かった。31日 天気が心配だったので、早めに下山開始、分岐を過ぎると雲が切れ槍ヶ岳や穂高の山々が見えてきた。ユックリと景色を楽しみながら下山した。
山名

NO81、 平ヶ岳

年月日

2000年8月4日  単独

コース平ヶ岳登山口(3:48)⇒(4:48)前坂⇒(6:35)台倉山⇒(8:42)池ノ岳⇒(9:05)平ヶ岳(9:15)⇒(10:20)池ノ岳(11:37)⇒(11:30)台倉山(12:10)⇒(13:25)前坂⇒(14:14)平ヶ岳登山口(15:43)⇒尾瀬口→奥只見ダム→浦佐→(19:06)上野
コメント往復10時間を越えるロングコース。3日に登山口近くの民宿に泊まった。4日 夜明け前に登り始めた。暗かったが、道はハッキリしていて分かりやっすかった。前坂付近は 急坂、そこを越えるとなだらかになったが、距離がとても長かった。池ノ岳を過ぎると開けた湿原になった。花を見ながら20分ほど歩くと山頂。広々とした湿原の真ん中の山頂、花に囲まれていた。 展望は無かった。復路、団体客が軽装で登って着たのにビックリ。銀山平の宿に泊まると、皇太子コース(最短コース)を案内してくれるそうだ。 
山名

NO82、 旭岳

年月日

2000年8月15日  単独

コース札幌(6:54)→(8:22)旭川(9:10)→(10:20)旭岳ロープウエー山麓駅(10:30)→(10:42)姿見駅⇒(12:10)旭岳(12:20)⇒(13:40)姿見駅→(13:55)旭岳ロープウエー山麓駅(16:05)→(17:20)旭川→(19:03)札幌(夜行列車21:56)→(16日11:24)上野
コメント14日の夜行で札幌に入った。15日 旭川から満員の無料バス(往復)に乗り終点で下車。ロープウエーに乗り換え姿見に到着。天気が悪く山頂は全く見えない。道は火口の周りに付けられ、火山性砂利で滑りやすく歩き難かった。 ガスで山頂からの展望はなし、気温が低く直ぐに下山。旭岳温泉に浸かり、バスに乗って帰途に就いた。
山名

NO83、 剣岳

年月日

2000年8月30~31日  単独

コース30日 新宿(前夜発23:50)→(5:05)信濃大町(5:15)→(5:40)扇沢(7:30)→(9:05)室道(9:25)⇒雷鳥平⇒(11:25)別山乗越(11:40)⇒(13:00)剣山荘 31日 剣山荘(4:40)⇒(7:10)剣岳(7:40)⇒(9:25)剣山荘(9:50)⇒(11:13)別山(11:35)⇒(13:15)雄山(13:30)⇒(14:25)室道(14:45)→(15:51)扇沢→(16:30)信濃大町→(21:00)新宿
コメント30日に雷鳥沢から別山乗越、雪渓を渡り剣山荘に到着。一服剣に登り明日のコースを下見。 31日 一服剣で日の出を見て登り始めた。鎖場では、絶壁のトラバースが少し怖かった。カニの縦這を過ぎると山頂、1番だった。360度の展望、白馬から槍ヶ岳までが見晴らせとても素晴らしかった。 混雑する前に下山開始、カニの横這で少し緊張したが、無事小屋に戻った。帰路は別山と立山連峰を縦走して室道に戻った。
山名

NO84、 皇海山

年月日

2001年5月27~28日  単独

コース27日 通洞(11:10)→(11:25)銀山平(11:35)⇒(13:20)庚申山荘(13:40)⇒お山巡り⇒(15:20)庚申山荘 28日 庚申山荘(4:30)⇒(5:20)展望台⇒(6:58)鋸山⇒(8:01)皇海山(8:20)⇒(9:10)鋸山⇒(10:05)六林斑峠(10:15)⇒(11:43)庚申山荘(12:30)⇒(13:55)銀山平(14:05)⇒(15:25)原向→新宿
コメント27日 通洞からタクシー利用で銀山平に入り、庚申山荘で一泊。早く到着したので、お山巡りをした。鎖と梯子の連続で少し緊張した。 28日 庚申山先の展望台からの眺望は無かった。薬師岳からは梯子と鎖の連続で、藪の細い道。何度も踏み跡を間違え引き返した。 鋸岳に着くと視界が開け、雲の下の山々が姿を現した。男体山や奥白根、武尊や尾瀬や谷川岳か?山頂からは木が邪魔で見晴は良くなかった。帰路は笹薮を六林斑峠まで下り、整備された登山道を小屋まで戻り帰途に就いた。
山名

NO85、 大峰山

年月日

2001年6月17~18日  単独

コース17日 大阪(7:10)→(8:15)下市口(8:35)→(9:49)天川川合(10:00)⇒(12:02)栃尾辻(12:15)⇒(14:15)弥山小屋(14:25)⇒(14:50)八経ヶ岳(15:15)⇒(15:40)弥山小屋 18日 弥山小屋(4:13)⇒(5:20)栃尾辻⇒(7:23)天川川合(7:40)→(8:00)大峰大橋(8:10)⇒(9:20)洞辻茶屋⇒(10:23)山上ヶ岳(11:00)⇒(11:35)洞辻茶屋⇒(12:44)大峰大橋(12:55)⇒(13:44)洞川温泉(15:55)→下市口→新大阪→東京
コメント16日に大阪まで入り、ビジネスホテルに泊まった。 17日 列車とバスを乗り継ぎ、下市口からは登山口までタクシーに乗った。登山口に入り4時間ほどで弥山小屋、荷物を預け、弥山と八経ヶ岳の順に登った。八経ヶ岳山頂からは薄雲が掛かっていたが、弥山や山上ヶ岳が望めた。 19日 同宿の鼾に起こされ、早朝に小屋を出た。3時間ほどで登山口に到着、タクシーを呼び、 大峰大橋登山口に向かった。女人結界の門をくぐり、参道を2時ほど登り立派な大峰山寺に到着。山頂はそばのお花畑の中央にあった。登って来た道を引き返し、洞川温泉からバスに乗り帰途に就いた。
山名

NO86、 利尻山

年月日

2001年8月14~15日  単独

コース14日 札幌(6:55)→(13:28)稚内(15:30)→(17:10)鴛泊→利尻北裾野野営場 15日 利尻北裾野野営場(4:25)⇒沓形分岐⇒(7:40)利尻山北峰(8:35)⇒沓形分岐⇒(11:40)利尻北裾野野営場
コメント13日に札幌に入った。 14日 列車と船を乗り継ぎ鴛泊に到着。利尻北裾野野営場までタクシーを利用。色とりどりのテントで一杯の野営場に私も仲間入りをした。 15日 曇り空の下出発。 眼前に利尻山が聳える長官山で一休み。9合目を過ぎると火山性砂利の登山道の急登、ロープを頼りに登り切った。山頂からは一面の雲海の上に浮かぶ、南峰とローソク岩がハッキリ見えた。南峰への登山道は左側が 切れ落ていて、私の実力では無理と判断し諦めた。往路を戻り、利尻北裾野野営場に連泊した。
山名

NO87、 空木岳

年月日

2001年9月16~17日  単独

コース16日 新宿(前夜発23:50)→(5:41)駒ヶ根(6:00)→(6:40)しらび平→千畳敷(7:10)⇒(7:40)極楽平⇒(8:30)濁沢大峰⇒(9:37)檜尾岳⇒(12:30)東川岳⇒(14:38)空木岳(14:50)⇒(16:00)木曽殿山荘 17日  木曽殿山荘(5:20)⇒(5:50)東川岳⇒(7:03)熊沢岳⇒(10:00)濁沢大峰⇒(11:10)極楽平⇒千畳敷→しらび平→(14:50)駒ヶ根→新宿
コメント16日 辰野で乗り換え駒ヶ根で下車。バスとロープウエーを乗り継ぎ千畳敷に到着。極楽平を経て霧の中の尾根歩き、アップダウンがあり、とてもきつかった。熊沢岳に到着した時は 、霧が晴れ少しだけ山々が見えるようになった。木曽殿山荘に荷物を預け、空木岳山頂に向かった。岩場が多く緊張した。山頂からの展望は無く、山頂に居合わせたインストラクター見習いと話をしてから引き返した。 17日  天気が良くなりそうなので、来た道を引き返した。極楽平から、空木山や熊沢岳や宝剣岳が望めた。
山名

NO88、 鷲羽岳

年月日

2001年9月20~21日  単独

コース20日 新宿(前夜発23:50)→(4:31)松本(4:50)→(6:30)上高地(7:30)→平湯温泉→(8:30)新穂高温泉(8:40)⇒(14:40)双六小屋⇒(16:26)三俣山荘 21日 三俣山荘(6:00)⇒(7:00)鷲羽岳(7:05)⇒岩苔乗越⇒(8:03)水晶小屋 ⇒(8:36)水晶岳
コメント20日 急行アルプス号を利用し、上高地経由で新穂高温泉に入り歩き始めた。鏡平までに出会った登山者は3人、鏡平では7人ほどが槍ヶ岳と穂高を見て寛いでいた。私も一休み。ここから笠ヶ岳分岐までは 急な上りで、過ぎるとアップダウンの尾根筋の道。緩やかな下りを終えると双六小屋。遅くなったので三俣蓮華岳に寄らず、三俣山荘に直行した。三俣山荘はガラガラ、宿泊客は2人だけだった。 21日 天気予報は下り坂、 鷲羽岳山頂からの槍ヶ岳や黒部五郎や水晶の写真を撮り直ぐに出発。
山名

NO89、 水晶岳

年月日

2001年9月21~22日  単独

コース21日 鷲羽岳(7:05)⇒岩苔乗越⇒(8:03)水晶小屋⇒(8:36)水晶岳(8:50)⇒(9:05)水晶小屋⇒(10:10)鷲羽岳(10:20)⇒(10:58)三俣山荘(11:15)⇒(12:00)三俣蓮華岳⇒(14:00)双六岳⇒(15:00)双六小屋 22日 双六小屋(6:00)⇒(7:25)鏡平(7:40)⇒(10:35)新穂高温泉(12:30) →平湯→松本→新宿
コメント21日 小さい水晶小屋を過ぎ、水晶岳山頂に到着。狭い山頂からは霧で山は見えなかった。三俣山荘に引き返し、休憩。雨が降りだし、天気が悪くなったので、黒部五郎岳は諦めた。三俣蓮華岳を経て 双六岳へ。霧が濃く、広い尾根で道が分かり難かった。ケルンを頼りに双六山荘まで下り、泊まることにした。20人ほどで、賑やかだった。 22日 天気が回復し、100人以上の登山者と擦れ違い、新穂高温泉に下った。
山名

NO90、 阿寒岳

年月日

2002年6月26~27日  単独

コース25日 釧路泊 26日 釧路(7:20)→(9:20)阿寒バス停⇒(9:55)滝口(10:10)⇒(13:00)雄阿寒岳(13:35)⇒(15:35)滝口⇒(17:30)阿寒湖ビジネスホテル 27日 阿寒湖ビジネスホテル(6:30)⇒(8:00)雌阿寒岳登山口⇒(9:10)5合目⇒(10:13)雌阿寒岳(10:25)⇒(10:35)分岐 ⇒(11:10)阿寒富士(11:30)⇒分岐⇒(13:44)雌阿寒岳登山口⇒(16:40)阿寒湖ビジネスホテル(17:30)→釧路 
コメント25日 阿寒バス停で降り、テント泊予定であったが、熊の恐怖で宿にした。宿泊手続きを済ませ、舗装道路を滝口まで戻り、湖の間から雄阿寒岳に登った。マリモセンターも必見。 27日 宿を出て、舗装道路と林道を歩き1時間半で登山口に到着。登山道には誰も居ない、 笛を吹きながら歩いた。樹林帯を抜け、見通せるようになり一安心。誰もいない最高峰雌阿寒岳に登り、10人ほどのハイカーが居る阿寒富士にも立ち寄った。見晴がとても良かった。熊を恐れながら阿寒湖に戻り、帰途に就いた。   
山名

NO91、 薬師岳

年月日

2002年8月7日  単独

コース6日 富山で一泊 7日 富山(5:10)→(7:00)折立(7:20)⇒(10:05)太郎小屋⇒(11:33)薬師岳山荘⇒(12:18)薬師岳(12:55)⇒(13:18)薬師岳山荘⇒(14:40)太郎小屋 
コメント富山駅前で厳しい荷物検査を済ませバスに乗り込んだ。折立で下車、登山口では居合わせた登山者に下車した25人が加わり大混雑。皆思い思いに歩き始めた。 私は3時間弱で太郎小屋に到着。荷物を預けて、薬師岳に向かった。山荘までは快調であったが、過ぎると急登になり息が切れた。山頂には京大の6人グループ等が景色を楽しんでいた。剣方面は見えなかった が、鷲羽や双六や針ノ木等の山々が望めた。
山名

NO92、 黒部五郎岳

年月日

2002年8月8~9日  単独

コース8日 太郎小屋(4:14)⇒(5:35)北ノ俣岳⇒(8:07)黒部五郎岳(8:30)⇒(11:52)三俣蓮華岳(12:10)⇒(13:01)双六岳(13:26)⇒(13:52)双六小屋⇒(15:10)鏡平   9日 鏡平(5:10)⇒(7:20)わさび平(7:40)⇒(8:34)新穂高温泉(10:30)→平湯温泉→(12:30)松本→新宿
コメント8日 ヘッドランプを点けて出発。直ぐに明るくなり、北ノ俣岳への尾根からは黒部五郎岳や笠ヶ岳が見えるようになった。北ノ俣岳を過ぎるとアップダウンが多く疲労した。黒部五郎岳山頂からは雲が無い360度の眺望、槍、穂高、立山、乗鞍、遠くに白山が とても素晴らしかった。体調を崩し、下りは尾根を避け黒部五郎小舎に向かった。小舎で水を補給し、元気を取り戻し再出発。三俣蓮華岳までも長かった。山頂からは大天井や常念岳や燕岳等が見えるようになった。 12時までに三俣蓮華岳に到着できたので、一挙に鏡平まで下った。 9日 小雨の中、新穂高温泉に下った。
山名

NO93、 トムラウシ山

年月日

2002年8月15~17日  単独

コース15日 新得→トムラウシ温泉 16日 トムラウシ温泉(3:40)⇒(5:07)短縮合流⇒(5:44)カムイ天井→(7:45)前トム平⇒(9:21)トムラウシ山(9:53)⇒(11:05)前トム平⇒(13:05)カムイ天井⇒(14:55)トムラウシ温泉  17日 トムラウシ温泉(9:00)→(10:20)新得
コメント16日 テントを出て、薄明かりの中、鈴を鳴らしながら1人で歩き出した。短縮コースと合流するまで誰にも会わなかった。コマドリ沢までは道がぬかるんでいて、ズボンを汚した。過ぎると岩場となり、ガスが 掛かったら迷うであろう?イワギキョウやトカチフウロが咲き、ナキウサギの声が聞こえる公園を過ぎ、急登を終えると山頂。石狩岳や音更山やニぺソツ山等が見えていた。残念ながら、大雪山への山並みは雲の下だった。 テント場に戻り、17日に車に乗せてもらいヌプントムラウシ温泉に入り帰途に就いた。
山名

NO94、 悪沢岳

年月日

2002年9月29~30日  単独

コース29日 東京(7:37)→(8:01)静岡(9:53)→(13:16)畑薙ロッジ→(14:20)椹島(15:00)→(15:30)二軒小屋ロッジ 30日 二軒小屋ロッジ(4:30)⇒(7:30)万斧沢の頭 ⇒(9:10)千枚岳(9:20)⇒(10:28)悪沢岳(11:20)⇒(12:20)中岳(12:47)⇒(12:55)前岳(13:28)⇒(14:25)荒川小屋
コメント29日 東海フォレストのバスを椹島で乗り継ぎ、二軒小屋ロッジに入った。個室と豪華な料理、旅館並みの料金を支払った。 30日 薄暗い中歩き始めた。 万斧沢ノ頭までは急登、何度も休んでしまった。過ぎるとなだらかになり千枚岳。富士山や赤石岳が見えた。丸山を通過し悪沢岳山頂(東岳)、素晴らしい展望。南アルプス、北アルプス、富士山、 奥秩父等が望めた。中岳、前岳、お花畑を経て荒川小屋に到着した。
山名

NO95、 赤石岳

年月日

2002年8月31日  単独

コース31日 荒川小屋(4:34)⇒(5:05)大聖寺平⇒(6:25)赤石岳(7:00)⇒(8:24)富士見平(8:50)⇒(11:50)椹島(13:30)→(14:25)畑薙第一ダム(15:08)→(18:39)静岡→東京
コメント快晴。大聖寺平付近から雲海の上に恵那山や中央アルプスや北アルプスが見え始めた。赤石岳山頂からは白馬岳や槍・穂高、妙高山、富士山や南アルプスの山々がハッキリと望めた。 2000mを一挙に下り、椹島へ。東海フォレストのバスと静岡バスを畑薙第一ダムで乗り継ぎ静岡で降りた。静岡バスの乗客は私だけだった。
山名

NO96、 聖岳

年月日

2004年7月18~19日  単独

コース18日 東京→(9:18)静岡(9:53)→(13:23)畑薙第一ダム→(14:30)椹島 19日 椹島(4:00)⇒(4:37)聖岳登山口⇒(9:00)聖平小屋(9:30)⇒(11:35)前聖岳⇒(11:55)奥聖岳(12:15)⇒(12:30)前聖岳(12:50)⇒(14:09)聖平小屋
コメント18日 静岡からバスを乗り継ぎ椹島に到着。 19日 明るくなった登山口に入ると直ぐに急登、続く細いまき道を通り、足を滑らせて転落した登山者が出た聖沢大吊橋を渡り聖平小屋に到着。荷を預け、聖岳に向かった。途中、便ヶ島からの日帰りの登山者と 前聖から奥聖まで同行した。山頂からの展望は無かったが、人馴れした雷鳥の親子が出迎えてくれた。小屋に戻る途中、兎岳から縦走中の女性5人組と話をした。
山名

NO97、 光岳

年月日

2004年7月20~21日  単独

コース20日 聖平小屋(4:15)⇒(6:00)上河内岳(6:30)⇒(7:35)茶臼岳(7:45)⇒(9:15)易老岳(9:40)⇒三吉平⇒(11:40)光岳(12:10)⇒(12:30)光小屋  21日 光小屋(3:30)⇒(5:09)易老岳(5:25)⇒(7:05)茶臼岳(7:30)⇒茶臼小屋⇒(9:06)横窪沢小屋⇒(10:55)畑薙大吊橋⇒(11:40)畑薙第一ダム(12:20)⇒(12:31)赤石温泉白樺荘(15:01)→(18:20)静岡
コメント20日 上河内岳へ向かう尾根の途中から富士山や聖岳が朝日を浴びとても綺麗であった。茶臼岳からは360度の展望、光岳からは富士山方面だけで反対は木が邪魔で無かった。 光岩まで足を延ばし、ミヤマムラサキの写真を撮り、光小屋に入った。光小屋名物の行者ニンニクのてんぷらはとても美味しかった。 21日 暗いうちに小屋を出て、茶臼岳まで戻り絶景を楽しみ、畑薙大吊橋を 緊張して渡り帰途に就いた。
山名

NO98、 大朝日岳

年月日

2004年8月2~3日  単独

コース2日 東京(7:36)→(12:16)左沢(12:45)→(14:00)朝日鉱泉ナチュラリスト小屋 3日 小屋(4:00)⇒(5:25)二股⇒(8:10)大朝日岳(8:50)⇒(8:56)大朝日小屋⇒(10:06)小朝日岳(10:15) ⇒(12:05)鳥原山⇒(13:20)朝日鉱泉ナチュラリスト(14:30)→(15:45)左沢→山形
コメント疲労撤退唯一の山、再挑戦。 2日 左沢からバスで朝日鉱泉ナチュラリスト小屋に入った。 3日 前回とコースを変え、ヘッドランプを点けて沢筋の道に入った。 崩れ落ちた所や道が細く鎖が取り付けられた場所を通過、尾根に出ると急登。約4時間で山頂、好天だったが月山や飯豊連峰がかすかに見える程度であった。 帰路の小朝日岳への上り下りはとてもきつく、今回も疲労した。小屋に戻り、汗を流し帰途に就いた。
山名

NO99、 飯豊山

年月日

2004年8月25~27日  単独

コース25日 東京→山都(11:45)→(12:15)飯豊の湯⇒(13:50)飯豊山荘  26日 飯豊山荘(4:30)⇒(6:25)横峰小屋⇒(8:00)三国岳⇒(9:25)切合小屋⇒(11:04)本山小屋⇒(11:20)飯豊山(12:05) ⇒(13:40)切合小屋⇒(14:42)三国岳非難小屋 27日 非難小屋(5:37)⇒(6:48)横峰小屋⇒(9:16)飯豊山荘⇒(10:50)飯豊の湯(12:50)→(13:16)山都→東京
コメント25日 山都からバス、飯豊の湯で降り飯豊山荘に宿泊。 26日 宿の主人が早朝キャンプ場まで登山客を車で送ってくれた。濡れた木の根で滑りやすい表参道を登り始めた。三国岳の尾根に 入ると、痩せ尾根や鎖場があった。三国岳山頂から磐梯山、吾妻連峰、朝日連峰、大日岳が望めた。切合小屋からはなだらかになり、本山小屋と鳥居を通過し飯豊山山頂に到着。雲で展望は無い。三国岳まで戻り、 水洗トイレの綺麗な非難小屋に泊まった。 27日 飯豊の湯に下山し、入浴後帰途に就いた。
山名

NO100、 幌尻岳

年月日

2005年7月1~2日  単独+1人(タクシー同乗者)

コース1日 札幌→苫小牧→富川(9:23)→(10:20)振内(10:30)→(11:40)第二ゲート(11:43)⇒(15:15)幌尻山荘 2日 幌尻山荘(4:30)⇒(6:00)命ノ泉(6:15)⇒分岐 ⇒(8:00)幌尻岳(8:25)⇒分岐⇒(10:50)幌尻山荘(14:00)⇒(17:00)第二ゲート(17:05)→(18:10)振内
コメント30日に札幌まで入った。 1日 JR富川からバスで振内、そこからタクシーで第二ゲートまで。タクシーで同乗した登山者に同行を頼まれ、、一緒に人を恐れないキタキツネの歓迎を受け歩き始めた。沢沿いの細い道、続いてフェルト底の靴に履き替え沢の中を歩いた。 赤の目印は流されて無くなっている所もあった。幌尻山荘は満員、私と同じ最後の百名山登山の人も数人いた。 2日 昨日同行した登山者と一緒に夜明けとともに歩き始めた。 尾根に出ると、眼前にピラミッドのような戸蔦別岳が現れた。高山植物が咲き誇るお花畑の横の雪渓を慎重に渡り、11年間で百名山登頂達成。